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私の画集序文

樋口 正毅 2014/10

1956年4月私の大学生活は「都ぞ弥生」で有名な北大恵迪寮入寮から始まった。一日の食事代は55円(札幌保健所に捕獲された野良犬の餌代も一日55円)と野犬なみで、いつも空き腹を抱えていたように思う。寮費は月2,500円と格安だったが、それを支払うのがやっとの貧しい生活だった。北大美術部黒百合会の存在は知るものの、絵の道具を買える余裕など全く無かった。

 大学を終えて燧灘のど真ん中の小さな島、伯方島の水産庁瀬戸内海栽培漁業センターに赴任した。そこで海の資源を増やそうと重要魚類(マダイ、トラフグ、ヒラメ、サワラ、アナゴ、キジハタ、クルマエビ、ガザミ、アオリイカ、マダコ等)の人口種苗生産を続けることになった。波の静かな内海に緑の小島が浮かぶ瀬戸内海の美しい景観に魅せられ、初めて油絵筆を取ってみた。だが、昼夜の別なく生き物を育てる仕事に追われ、絵は小品を数枚描いたに過ぎなかった。

 島で取り組んだキジハタの種苗生産の実績が認められ、中近東の「小さな巨人」と呼ばれた世界一金持ちの国クウェート国からお呼びが掛かり、1975年子供達も一緒にクウェート国に赴任した。       

 クウェート総合科学研究所でヒトミハタの種苗生産に関わる事になった。

 クウェートの気候は、日中50度に上る日はザラで,それ故フラット(マンション)の各部屋も窓は小さく白壁がやけに広い。

 クウェートでは絵の道具がなかなか売られていなくて、やっと見つけた小さな文房具店でメード・イン・イングランドのF8号大のボード板と12色の6号油絵具がついた油絵セットを購入し、白壁を埋めるべく数枚描いた。クウェートで6年ほど過ごし、その後アジア開発銀行に勤務することになり、タイのバンコックに3年、フィリッピンのマニラで11年間定年まで務め上げた。

 20年余りの「ホット、ホッター、ホッテスト」と揶揄される季節変化の乏しい暑い国々で、ほそぼそと絵筆をとり、1995年生まれ故郷の越後湯沢に終の棲家を構えた。

 季節季節で移り変わる故郷の光景は新鮮で素晴らしく、「東京黒百合会」の仲間に加えて頂き、自己流ながら油絵制作を続けて18年目を迎えた。年1作という超寡作に甘んじ、いつまでたっても東京黒百合会の落第生から抜け出せない未熟な絵ですが、F30号17枚その他小品を含めてようやっと40枚ほど描き貯めることが出来た。

拙い絵ですが、Internet Gallery に公開し、皆様からのご批判を頂き今後の励みと致したい。